前田慶次四百回忌供養祭
慶次殿に導かれるかのように米沢へ
四百回忌から繋がっていく新たな縁
前田慶次四百回忌供養祭
前田慶次四百回忌供養祭

伊達政宗公の生誕地、上杉の城下町として知られる歴史の町・米沢。
傾いた生き方を好んだ前田慶次が、骨を埋める地として選んだのも米沢でした。
ここでは、美しい自然の中で亀岡文殊にもあるように歌を読み、月見平で宴を開き、風流な余生を過ごしたことと思います。
そして今慶次殿が上杉景勝公と直江兼続公に惚れ込んでこの地へ赴いたように、全国から多くのファンが慶次殿に思いを馳せて米沢へと足を運んでいます。
実際に慶次清水や月見平、無苦庵跡など、余生を過ごした場所を訪れて思うのは、今から400年以上前、確かに慶次殿が「実在していた」ということ。
まだ世の中に前田慶次という武将を知る人があまりいなかったころからずっと供養を続けてきた堂森善光寺の前田慶次供養塔前に立つと、今でもそこには慶次殿がいて、何かを語りかけてくれているような感覚を覚えます。
慶次殿が見たであろう風景、空気、歴史を米沢で感じていただけたらと思います。

慶次殿が米沢で没して400年という節目の年を迎えるにあたり、より多くの方に毎年堂森善光寺で開催されている前田慶次供養祭へお越しいただくためのお手伝いをしたいと、昨年10月に実行委員会を立ち上げました。
そもそもは昨年の399回忌供養祭に参加した有志で、米沢だけではなく大阪、神奈川、新潟、千葉など各地から集まったメンバーです。
400回忌を記念して、関係各所のご協力により慶次殿ゆかりの品や原哲夫先生の「花の慶次」複製原画展示、米沢市マスコットキャラクター・けーじろー登場など特別企画も実施できることとなりました。
我々実行委員がそうであったように、慶次殿を慕って米沢へ集まって来られる方々とともに慶次殿を供養し、史実・漫画・ゲームなどジャンルを問わず話に花を咲かせ、慶次殿を通じてここからまた新たな縁が広がることを信じています。
そして、前田慶次という人物がますます熱く後世へ語り継がれ行くとともにこれからも皆さんの心の中で生き続けることを心から願っています。

 

前田慶次400回忌供養祭実行委員会 一同

山形県米沢市にある堂森善光寺は、善光寺阿弥陀堂の別当として建立された真言宗豊山派の寺院。
二度の火災により古い記録は残っておらず、寺歴ははっきりとはしないものの、境内にある鐘銘に大同2年(807年)に創建されたと刻されていることから、平安時代以前に開山されたとされている。
鎌倉時代には地域住民の信仰を集め、また室町・江戸時代には、領主・領民の阿弥陀信仰の拠点として栄えた。

 

かの前田慶次郎が晩年を過ごした地であり、「前田慶次供養塔」が建立されていることでも知られ、毎年6月4日には彼を偲ぶ全国のファンが集い、供養祭が行われている。
前田慶次供養塔の他にも、山形県指定文化財に認定されている「阿弥陀如来立像」や「伝長井時広夫婦座像」などが存在し、山形県の観光地の一つとして季節を問わず賑わいを見せている。

会場:堂森善光寺(山形県米沢市万世町堂森山下375)
11:00~ 供養祭  12:00~ さなぶり(餅振る舞い)
◆実在した傾奇者・前田慶次郎とは
◆「花の慶次~雲のかなたに~」の世界 ~原哲夫 複製原画展~
◆けーじろー記念撮影会! ほか
16:00終了予定 ※内容は変更になる場合があります。

【主催】堂森善光寺(http://www.dzk.jp/)善修会 / 前田慶次郎400回忌供養祭実行委員会
【協力】(株)ノース・スターズ・ピクチャーズ / (株)クレヨンマキ / 善光寺 慶次奉賛会
【協力団体】NPO法人さわやかネットワーク / 米澤前田慶次の会

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(C)隆慶一郎・原哲夫・麻生未央/NSP 1990, 株式会社コアミックス