雨模様のなか開かれた担当者の現地説明会

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無苦庵の屋敷跡が見つかった!?
「無苦庵」とは?

前田慶次が晩年を過ごした武家屋敷。慶次と親交深かった直江兼続や志田義秀らも訪ねたといいます。これまでその存在の真偽が問われてきた無苦庵でしたが、この度の調査によってより高い信憑性が得られました。

平成27年10月26日から11月5日、山形県米沢市万世町堂森で無苦庵の発掘を行い、対象面積300平方メートルのうち150平方メートルを調査した結果、50個もの柱跡が発見されました。5尺間隔で柱が打ち込まれた部屋が3つ、5~7尺間隔が6つ、7尺間隔が3つあり、それぞれは家来の住居、納屋、作業小屋、馬屋、便所だと考えられます。これら小規模建な建物は、現在の民家付近にあると予想される母屋の一部で、屋敷全体は東西109メートル、南北72メートル四方に広がることがわかりました。また屋敷の外側にはV字型の堀「薬研堀(やげんぼり)」、「版築(はんちく)」と呼ばれる工法でつくられた土塁が見つかり、慶次が米沢に住んだとされる江戸初期の文化を思わせる痕跡が数多く見られました。

無苦庵の屋敷跡が発掘

これまで無苦庵の存在を立証する明確な裏づけがありませんでしたが、今回の発掘調査によりその存在の証明に一歩近づきました。多くの謎とロマンに満ちた無苦庵の全貌が明らかになる日は遠くありません。今後の新たな発見に期待がかかります。

掘り進めると地面のあちこちから現れた柱跡

掘り進めると地面のあちこちから現れた柱跡

調査 の安全を祈願して行われた地鎮祭の様子

調査 の安全を祈願して行われた地鎮祭の様子

発掘調査はボランティア作業員によって行われました

発掘調査はボランティア作業員によって行われました

見落としがないよう丁寧に地面をさらう作業

見落としがないよう丁寧に地面をさらう作業

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(C)隆慶一郎・原哲夫・麻生未央/NSP 1990, 株式会社コアミックス